”自分を出す”ってどうやるの?

ななは節

「誰から買うか」
「ファン化」

とか言われている昨今のインスタ業界。

商品を選ぶとき【どんな人であるか】は欠かせない条件じゃないかな

唯一無二の自分を知ってもらうために、
【自分を出す】ことは必須

 

およよ。まてまて。

「自分を出すってどうやるの?」
「思いを出すって、やってると思うんだけど…」
「価値観をだすんだよね~(はて。私の価値観とは?)」

そんな方に向けて、今日はコーチング的な話をしますね。

人の感情が生まれる方程式

出来事→価値観→反応(感情)

 

私たちは出来事をそのまま受け取っていません。

自分の色眼鏡(価値観)を通して受け取っています

 

どういうことかと言うと↓

最近朝にウォーキングをしているんですが
(おじいさんおばあさんばっかりの時間帯)
道に一口も食べてないパンが落ちてたのよね。

 

それを見て私なんか切なくなったのね。

 

みんなだったら、道にまだ食べてないホットドックが落ちてたらどう思う?
(たぶんあれはホットドックw)

 

私の場合、第一に

「え、なにこれ?」

想像したこともない光景が目の前に広がってて動揺。(二度見した)
道にホットドック落ちてるって想定は皆無だったのね。

まだ食べてないホットドックが道に落ちるまでの
いきさつを考えてみた。

 

→『わからない・説明がつかないってモヤモヤする』
→『筋道を立てて理解したい』

これは私の価値観というか、頭の使い方のクセ。

 

 

そこからの、

「切な~い」

袋をばんって開けて落ちちゃったんだろうな~
わぁ~…ショックだっただろうな。
拾う気力もわかなかったんだろうな…

 

→『わざとパンを落とす人はいない』
→『落としちゃったら拾うよね』(それもできないほどショックだったんだろう)

これが私の価値観の一部。

 

だいぶ具体的な話だから抽象度をあげると

→人それぞれ共同の中で責任もって過ごしてる(道徳的な?)

みたいなね。

 

いらないからって無責任に放り出すとか…考えてもない
ほんでこの状況かなのね!
(知らんけど)

 

そう、知らないのよ!

どうやってそうなったかってわからないし、
落とした人(置いたのかもしれない)が切なかったかわからないし、
ホットドックじゃなかったかも。

 

事実に対して、混乱したり切なくなったり、
自分で勝手にしてるのね。

何(出来事)をどんな風(価値観)に勝手に受け取ったかってところが
人それぞれ→自分らしさ

 

だからびっくり・悲しい・ずきん・ずきゅんとか
感情が動いた時に

▶どんな風にうごいたか
▶何が(どんな価値観が)そんな風に動かさせたか

そこを言葉にして発信すると
唯一無二のあなたらしさが勝手にでます。

 

やってみてねーん♡