おばあちゃんが、可哀想。

ななは節

 

私のおじいちゃんには、
二人のお姉さんとお兄さんがいて、

お兄さんは7歳の時に病気で亡くなっています。

唯一の男の子、
しかもお兄ちゃんを亡くしているのも相まってか、
親の愛情を全部うけて(甘やかされて)
何不自由なく育ってきたおじいちゃん

(↑父が言ってました。)

 

そんなおじいちゃんは

ザ・昭和男子

 

『おじいちゃんの言うことは?』

『ぜったーい!』

という傲慢さをもっていました。

 

 

 

話は変わるのですが、
私は『男の人に怒られるのが怖い』と思っていました。

 

会社員の時は特に。

不動産会社に勤めていたんですが、
未だに怖い人っているんですよね。

(地面師たち見た人はイメージつくと思う)
(あ、でももちろんみなさん法の範囲内です)

 

私の周りの女性たちは強い人が多くて

男性でも上司でも、
おかしいことはおかしいと言う。
理不尽な依頼は断る。

お客様の前では
不満は一切見せずに上手に振る舞う。

そんな人たちでした。

  

『私もみんなみたく強くいたいな』

とか思ってはいたけど
実際は、

『ミスしないように』
『怒られないように』

そればっか考えてました。

 

私にとって
【怒られる】より怖い事って、
思い浮かびません。

 

 

 

おじいちゃんの話に戻ります。

ザ・昭和男子な傲慢おじいちゃんの奥様、
つまり私にとってのおばあちゃんは

よくおじいちゃんに怒られていました

 

怒られて何も言わずに、
おじいちゃんの言うとおりにするおばあちゃんを見て、

『おばあちゃん、可哀想』

と思っていました。

『おじいちゃん、なんでそんな風にいうの?』というおじいちゃんへの不信感がわくこともありました。

 

人の価値観は6歳までに80%が形成されるといわれています

私が『男の人に怒られるのが怖い』と思っていることと、
おじいちゃんが怒る姿、

何か関係があるのかな?

 

 

そんな風になんとなくは思っていた矢先、

インナーチャイルドを癒やすセッションを受けさせていただく機会をいただきました。 

 

 

本当に贅沢で素敵で不思議な時間だったのですが、
そこから感じたこと。

 

私の中にあったのは

【怒っているのは強い人、怒られているのは弱くて可哀想な人】

という価値観でした。

 

そしてそして、

【可哀想だと思っていたいおばあちゃんは可哀想じゃなかった】

ということを見つけてきました。

 

どういうことかというと、

私が可哀想だと思っていた【黙って言われたようにすること】は、

キツい口調で文句ばっかり言うおじいちゃんとの
おばあちゃんなりの上手な付き合い方だったんです。

 

可哀想だと思っていたおばあちゃんは
おじいちゃんを転がしてました

 

そう考えると、 

【怒っているのは強い人、怒られているのは弱くて可哀想な人】

これって違うかも?

 

というか、
インナーチャイルドに潜っておばあちゃんに会いに行くと、

おばあちゃんは全然弱くない

むしろ強くて賢い。

 

そんなおばあちゃんの強さと賢さを体感できました。

 

 

私が一番恐れていた【怒られること】って
自分に非があって咎められると思っているから怖くて仕方なかったけど、

怒るって相手の問題だし、私もおばあちゃんみたいに上手くかわせそう♡

 

  

それと、

私たちって人のことを【勝手に可哀想って決めつけてる】

 

自分に対する思い込みがあるように、
人に対する思い込みも持っています。

 

それって結構失礼だし、
その感覚がなくなると発信もセールスも
変わってくるはずです。

 

あなたの発信を弱めるのは、
どんな思い込みですか?